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JAS英会話教室の思い出

JASの英会話教室に通っていたのは2011年だった。

値段は安いし、何度かJASの英会話教室は面白いの?って聞かれた。

結局、担当する先生次第と答えている。

 

先生の多くは岩国基地内に住んでいて確かにネイティブなんだけど、結構、生徒から見て当たりはずれが多い。

 そして次に先生はよく代わります。自分の時は1年間で4回くらい・・・

つまり、別の基地への移動が多く、1年以上JASの英会話教室で先生あまりいなかったと思う。

 

自分にとって最初の先生はミッシェル先生だった。

ブラジル系アメリカ人だったかな?英語と日本語とポルトガル語が話せる。

日本語が話せるから自分も安心して授業に参加できた。

彼女はよく日本とアメリカの文化の相違などについて教えてくれた。

 

でも、自分にとって一番思い出深い話はジュリアナ東京の話

ジュリアナ東京といえばバブル期の象徴のような存在で

お立ち台で扇子をゆらゆらさせながらダンサーが踊るイメージ。

彼女はなんとその頃にそのお立ち台で踊っていたそうだ。

結構稼げたらしくチップが凄かったと言っていた。

 

彼女はそこで稼いだお金でブラジルに家を買ったそうだ。

でもそこ自分は住めそうもないので数年後にその家を売って、そのお金を母親にプレゼントしたらしい。

 

その頃、ブラジル経済は凄く良くなっていて買った値段の3倍で売れたらしい。

ブラジルもまたバブルで結局、彼女は日本とブラジルのバブルで儲かったと言っていた。

 

この先生が一番面白かった・・・次はエイミーかなぁ

 

写真中央がミッシェル先生